冷蔵庫にあるものを総結集させた、ありあわせの納豆スパゲティ。のんびり家呑みをした翌朝は、なぜかいつもお腹がすきます。
村上春樹さんのエッセイのなかに、「ありあわせスパゲティー」というのが出てきます。「べつに明確な味の基準点があるわけでなく」、「その時点で冷蔵庫に残っていたものをよりごのみせずに全部ぶちこんでぐしゃぐしゃにかきまわす」から、「かなり強力」なんだそう。このエッセイを読んだのはもうずいぶんと昔ですが、以来ずっと、「ありあわせスパゲティ—」が放つ不思議な言葉の響きに憧れをもちつづけていました。
ありあわせが生むおいしさというのは、これが案外にむずかしい。冷蔵庫の備品センスに加え、料理人の創作意欲がしっかり問われるから。店で働いていた頃、ありもので工夫する日々のまかない作りがおもしろかったのは、そういうところに源があったような気もします。
店仕事のなくなった今は、食べたいときに食べたいものを作る生活。でもそれもまた、まかないのようなものかなぁと、ふと思うことがあります。食べたいものは、今そこにあるもので作る生活。
私はたいてい晩酌するので、夜は米飯や麺類をほとんど食べません。夏ならビールと枝豆と冷やしトマトとあぶりダコとか、好みのワインはそれだけで主食になるので、あとはチーズとパンだけ。肌寒くなってきた最近は、銀杏を炒ってお湯割りを作り、カツオたたきをつまんだら〆にたくあんとか。だから、次の日はお腹がすいているのかもしれない。
料理家としてあまり大きな声で言えることではないし、まわりの友人にはあきれられるような食生活も、慣れてみればからだにはストンと落ち着く。ふつかも外食すればお腹はくたびれ、頭が重たくなります。深酒せず、ちょっとものたりないくらいのうちでの晩酌が、自分にはしっくりくる夜まかないのようです。